ゆるっと生きたい

はじめまして。まだはじめたばかりなので、テーマは決めていません。書きたいことを書いて言ったら、結果的にテーマがしぼられていくんじゃないかと思っています。

雨の日は感情を消化する日

雨は好きです。音とか匂いとか、

ここ最近の秋雨はとても嬉しいです。

嬉しいとはいっても、ハッピーとかではないんです。

ハイテンションになったり、楽しいわけじゃない

むしろ悲しくて、寂しい、なんだか深海の底にただようような

身体全体で泣くような気持になります。

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楽しい、嬉しい気持ちだけが幸せというわけではない

幸せってなんだろうということにもなるんですが、

もしかしたら、その時にしたいことをするってことでもあるのかもしれないと

今思いました。

私は悲しい気持ち、寂しい気持ち、そういう気持ちを

消化したいのかもしれません。

といいつつ、結構昔から雨は好きでした。

その時の雨の好きさは、なんだかスリリングな感じがしたからでした。

あの国のスコールは迫力がありました。

黒々した雲が空を屋根のようにみっちりと空を多い

雷の音と、地面に叩きつけられる大粒の雨の音は他の音が聞こえなくなるほどでした。

 

感情の未消化

未消化の感情が怒りだすことってあって

その相手は他人に対する怒りのように現れて、

実際自分自身に向くんだと思います。

「なんであの時自分を守れなかったのか」

「なんで気付いてくれないのか」

そういう自分への攻撃が、実際の自傷行為にそのまま表れるのかもしれないと思いました。

自傷行為って本当にいろいろあって、

過食もそう、わざわざ悪口を読んでしまうのもそう、

無意識に批判されるように差し向けるのもそう。

悲しい気持ちの表れなんじゃないかと思います。

それは本当に悲しいもの

 

未消化の感情を消化するのは

簡単なようで難しくて、

それはスランプを乗り越えるような

偶然のような気付きによって行われます。

どんなに考えても、どんなに調べても

他人に聞いても、わからないときはわからなかったり

 

私の中でのキーワードは

「本当はどうしたいのか」

「本当はどうしてほしかったのか」

これがカギになることが多いです。

 

大丈夫だと思えるから放置できる

不安だと放置できません。

この放置できることってすごく大事なことだと思いました。

この悲しみを一度出してしまったら、きりがないかもしれない。

この怒りが一度外に出たら、吹き出してしまうかもしれない。

この人に対する要求を一つでも出したら、あふれ出て、嫌われてしまうかもしれない。

そういう恐怖が感情の消化を未然に止めたりしまう。

見ないようにする、無意識に追いやる。

そうやって日常のあれやこれやを「仕方ないでしょ」とこなす。

悲しい。そんなの悲しすぎる。

 

不安なのは、自己嫌悪をするのは何かがあったからだと思っています。

「それぐらいで泣くんじゃない!」

「それぐらいで怒っちゃダメ、おねえちゃんでしょ!」

「わがままはいい加減にしなさい!」

大好きな人にそんなこと言われたら、確かに感じなくします。

自分を恥じたり、黙らせたりします。

 

雨の日は「悲しいね」って言われる気がするのかもしれません。