ゆるっと生きたい

はじめまして。まだはじめたばかりなので、テーマは決めていません。書きたいことを書いて言ったら、結果的にテーマがしぼられていくんじゃないかと思っています。

将来の夢、何者かになること

 

今日は軽作業のバイトでした。

ひたすらチラシを取って取って取って、裏っかえして入れてを繰り返しながら

ぼんやりと、「やっぱり働くことは大変なことなのかな」と考えていました。

「楽な仕事なんてないよ」よく言われます。

うーん私はそれを信じないでいようと思っています。

だってもしそうだったら、もう生きるの辛すぎるよ!

よくみんな生きて仕事してるなぁと思ってたりします。朝の通勤ラッシュとか…

将来の夢

f:id:amy-star:20150904220410j:plain

私はもともとは臨床心理学大学院に入る予定でした。そしてカウンセラーになろうと思っていました。

なぜなら座ってコーヒーなんか飲みながらおしゃべりして、相手が元気になって、それでお金がもらえるなんて!

なんて素敵!私も元気になれるわ!win winじゃん!

と思っていたからです。

その後いろんな人と出会い、

この世の中には自分が考える以上に、苦しいこと、悲しいことがあることを知りました。

他人のことだけじゃありません。

私自身も自分の苦しみや悲しみ気付かないようにしてたんだということを知ったりてして。

そうしたら、「相手の問題の解決をお手伝いしてお金をもらう」ということって自分にとっては苦しくなってしまうことだなと思うようになりました。

多分、壁を超えること(問題を解決すること)は、人間が生きるということと同義なのではないかと思っていて、程度の差はあれど、

その壁は、対等な関わりの中でお互いに超えて行ったりするものなんじゃないかなぁと思うからです。

(これは自分の自己肯定間に関する壁でもあるような気がしますが)

お金をもらっている状態で、対等な関係を築けないような気がしました。私は。

で、カウンセラーはいいかな、勉強もだるいし、ということで

カウンセラーになるのはやめることにしました。

何者かになることと、今の自分

子供の頃の夢って「連合のパイロットになる!」くらいの、空想感がありました。

今でも「何者かになる」と考えるとそういう感じがします。

で、「何者かになりたい」って思い、私にもあるなと思うんですが、

それって日本教育の、

「あなたはまだ不十分だ」

と思わされる感じからきているんじゃないかと思います。

どこまでいっても手が届かないように感じられて、ずっと不安にさせられる

その不安から「もっと買わなきゃ」という消費も生まれ、経済はまわっていく

そんな感じにとらえています。私。

この話、私の文章で説明するのすごい難しいなと思います。

長くなる気もするし。

それで、私最近は、「何になりたいか」じゃなくて「自分の本当にしたいこと」の先に

幸せがあるんじゃないかなと思っているのです。

「しなければならないことじゃなくて、君がやりたいことを……

君自身がどうしたいのかを教えてよ! 」バナージ・リンクス(ガンダムUC ep2)

バナージ本当に素敵だ。本気で生きてる…

ガンダムUC本当に良くて。名言もがんがん出てくるので、今度また

そう、「しなければならないこと」じゃなくて、「私自身がしたいことをしよう」と言うことです。それが自立でもあります。

しなければならないことって、思ったより広範囲でした。私の中では。

「なにものかになること」「安定した職に就くこと」

これらは自分のしたいことのようで、親に社会に、受けいれられるため、

許されるためのものだったんだと気づきました。

その方が安心だもんね!いや~安心は大事です。

だから、その選択も、それはそれでいいと思います。ぬくいし。

でも私、気付いてしまったらもう、進むしかなくなるんですよね、この問題と言うのは

本当は寝てたい…

これは私の中で答えの出てないことで、今模索中です。

バイトの日の朝、携帯のアラームに起こされると、すごい絶望的な悲しい気持ちになるんですよね

ああ、寝てたい

それで、休みの日ずっと寝てると、頭痛くなって来たり、

つまり、私の本当にしたいことは「寝ていたい」ということではないんだなということです。

めちゃめちゃ暇だったころ、暇だからと言ってやりたいこともないと、

一日寝たり、スマホをいじったり、テレビを見たり、

楽しんでるんじゃなくて、時間をつぶしているんだということに気が付きました。

「早く一日が終わらないかな」と思ったりとかしていて、

それはそれで、私のしたいことではないということが明確になりました。

本当にしたいこと

じゃあ本当にしたいことはなんだろう、考えています。

今なんとなく掴んでいるのは、それはそんなに刺激的なことではないのかもしれないということです。

パンを作ったり、文章を考えたり、勉強を教えたり、本を並べたり、

それらって私がそんなに嫌なことじゃないんです。

でも働く上で何が嫌って

「社会は厳しいんだぞ」「責任感をもてよ」

という縛りあい、いじめあいです。

そうなんです!

だから私、なんとか一人で仕事できないかと模索することにしているんだと気づきました!

体の方が先に知っていたりするものだなぁ。