ゆるっと生きたい

はじめまして。まだはじめたばかりなので、テーマは決めていません。書きたいことを書いて言ったら、結果的にテーマがしぼられていくんじゃないかと思っています。

悪口を言うとかえってくるという迷信じみた事実

 初めまして、自己紹介はプロフィールに書いてるからいいかなと思います。くどいかなと思うし。

最近思ったことについて書きたいと思います。

これについて書くと、私がどういう人間か、合うか合わないかわかるんじゃないかなと思います。

悪口を言うとかえってくるよ!

 最近、ショックなことがありました。

ショックなとと言うより、怒りもあるやら、なんやら、とにかく自分の処理が追いつかないようなことがありました。

「どういう顔をすればいいかわからないの」状態。もしかしたら恐怖が一番かもしれない。

その恐怖と同時に、私は「自分に試されている」とも思いました。

 

 私は、自分が他人に「悪い」と意味を見出した物は自分にも許せなくなる。と思っています。

 

 例えば私が「恋人以外の人を好きになるなんて人としてダメでしょ」と言ったとします。そうすると、私は恋人以外の人に好意を抱いた時に罪悪感が湧くようになる。といった感じです。

 私は子供の頃「悪口言うとかえってくるよ!」と言う言葉に「先生や大人は子供に言うことを聞かせるために、いろんな脅しをつかうよな」と思っていました。ここまで言葉にはできませんが、鼻から信じないところはありました。

「罰があたるよ」のような、「おてんとうさまが見ているよ」、そのようなものだろうと。

 しかし友達とおしゃべりした帰り、本屋でふと気持ち悪さに気づきました。なんだか取り返しのつかないことをしたような、自分から何か減ったような、自分の何かが禁止されたような息苦しさを感じました。

 なるほど、「自分の可能性が減った」ことであり、「自分の可能性を禁止した」ということなんだと気づきました。

それが「悪口を言うとかえってくる」の正体なのだと。

 

例外

例外があります。例外と言うとなんだかおもしろいですね。指南書みたいだ。

実際悪口を言いたいときは言っていいとは思うんですけどね、私は言われたくないし、言いたくないと言うだけなので。

さて、例外ですが、自分を主体にしていうと、こういうことにならないんです。

自分を主体にするというのは何か、具体的に言うと

「私はこうされるのが嫌だった」

という感じです。この、「自分がこう感じた」と言うと、かえってこなくなるんです。

どういうことかというと、これは、「自分の感情に責任を持つ」ということでもあります。「怒りを感じさせたお前が悪い」ということではなくなるということです。

先程の例を出すと「恋人以外の人を好きになる人を見ていると、嫌な気持ちになる」と言うことになります。

「他の人がどう感じるかはわからない、けど、私はそう感じるんです。」ということ。

あ、ちなみに私はそうは感じないんですが。

そうすると、その目は自分に向きます。「なんでそう感じるんだろう」「なんでいらいらするんだろう」と。そうすると、自分の感情、自分のトラウマと向き合うことになり、自分が結果的に楽になれたりと一石数鳥なんですが、話が長くなるので、これは置いておきます。

要は人を責める、非難するということではなくなるからです。

 

悪口を言わざるを得ない

悪口を言いたいことってあるんだと思います。

それは実はその人にとって、仕方のないことなんだろうなと思います。

私はそれはどういう状況なんだろうと考えることがありますが、「悪口を言わざるを得ない」状況も理解できたりします。

とにかく苦しいんだろうなと。

その苦しさにはいろいろあって、

・劣等感から優越感をいだいていなければならない

・嫉妬〈自分は許されないのに、あの人は許されるなんて!)

・自己嫌悪の投影

などなど、まだまだあると思います。日々のストレスとかね。

それって、悪口を言わない状態と紙一重なんだろうなと思っていたり。

だから、悪口を言う自分に嫌悪することもないのかなと思います。言われるの超いやだけど。

 

今、オリンピックのシンボルについて誹謗中傷も出ていますが、

誹謗中傷って、する人がもともと誹謗中傷したくてむらむらしてる状態なんじゃないかなぁとも思うので、必然なのかなと思います。

日本と言う国が、もっと許しあえる社会になったら、生きやすいだろうなーと思います。実はなってきているんじゃないかと思ったりもするんですけどね。

みんな幸せだったら、みんな許されてるって思えてたら、許しあえる社会になると思ったりします。

幸あれ~~